メディアアートと映像 (後編)「映像クリエイターとは、東京タワーである?」

どうも、御幡です。
前回に引き続き、後編としてMEDIA AMBITION TOKYOという展覧会についてレポートしようと思います。

MEDIA AMBITION TOKYO

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こちらはメディア芸術祭とうってかわって最先端のメディアアート作品が数多く、難解なものを含めてアートを楽しむことができます。
僕は舞台を見るのが好きです。なぜ好きなのかというと表現としてナマモノだからです。そして同じ表現でも一つとして同じものが複製されることがないところは、映像というパッケージされたジャンルにはない表現やエネルギーがそこにあるからです。そういう意味で体感型のメディアアートは、映像などの表現よりも舞台やライブのそれに近いのかもしれません。

MATの展示物において人を魅了していたのはチームラボの「世界は、均質化されつつ、変容し続ける」という作品。
キーワードとしては、「わかりやすさ、単純さ」という言葉が当てはまる気がしました。作り手のコンセプトとは違うかもしれませんが、いかに単純明快か、リテラシーに関わらず楽しめる、楽しみ方を強制しない、そういう意味でのチームラボの作品は人を選ばず、そして人それぞれの楽しみ方ができる作品でした。簡単に作品を説明すると、部屋の中に大きな球体のオブジェクト(バランスボールみたいなもの)がたくさん設置されており、その中にセンサーが仕込まれています。人がそのボールを叩くとセンサーが反応して、次々にボールの色が連鎖して変わっていきます。

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何が面白いって、その仕組みを理解しなくてもただ大きなボールだらけの空間です。その空間に入るだけで非現実的な場所やモノ感に人の心は踊ります。他のお客さんの反応がよかったのもやはりこの作品でした。単純に体感できる。体感できるということは、表現の選択が表現者側ではなく、その表現を体感する側へとゆだねられているように思います。そこには枠組みだけで楽しみ方のルールがない、だからこそ、作品として、表現として一歩進んでいる感じがします。

ルールを決めすぎないということでいい体験ができた作品がありました。WOW の「Ophelia has a Dream」というインスタレーション作品です。人の動きを感知して、花びらや蝶のグラフィックが床に生成されます、それが壁にかけられている絵画の中へと「オフィーリア」への餞のように流れていくというインタラクション作品なのですが、床に映し出される花びらや蝶の動きをただただ無邪気に追いかけ回る子供の姿を見た時はほのぼのしました。実際の作り手のコンセプトやテーマにそぐわない受け手の表現へのアプローチもインタラクティブな体感型のモノの醍醐味だと思います。それも一つの作品の楽しみ方だろうなと。

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子供は先入観がありません。子供がいろんなものに対して興味を持って遊んで楽しめるものということは、裏を返せば、それだけ刺激慣れしていないからこそ、すべてが新鮮に楽しめるということです。だからこそ、子供のそういった体験を近くで感じれたのはとてもありがたいことだとも思いました。

表現の幅が広がるにつれてこちらの刺激慣れはこれからどんどん加速していくことだと思います。そういう刺激に対するアプローチが今、一つの方法として、仮想のモノから現実のモノへとより体感できる実在するモノの説得力へと変わってきているのではないでしょうか?その根底にはそれを可能にする技術の進歩があり、そしてその進歩の速度に応じるように現実のモノへのアプローチも急速に加速しているように感じます。

ライゾマティクスの「physical presence」という作品もその形の一つのように思いました。一昔前ならCGで、数年前ならプロジェクターで映像を投影していたものを、それがすべて現実にある装置でなされていました。内容はいたって単純です。車のまわりに蛍光灯をトンネル状に配置したもので、車が進む時の風や流れの動きを、周りの蛍光灯が点滅で表現しそのスピード感を体感できます。現実に実在するもののエネルギーというか説得力が人を引き込んでいました。

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会場が六本木ヒルズの52階ということもあり、そこは展望台として機能していました。「普段見ているものを違う角度から見る」という単純さ、そしてそこにある、実在するという説得力。展望台もシンプルなメディア表現の一つだなと思わせたのはそこから見える景観でした。結局のところ、みんなの心を一番魅了したのはそこから見える東京の街と東京タワーのような気がします。

2つの展覧会をみて感じたのはやはり、技術の進歩、表現の多様性、そして映像という表現への危機感です。技術が進歩していくのは当たり前のことで、これからもどんどん表現の幅は重なり繋がり広がっていきます。

ただ技術は技術です。技術だけだと東京タワーのような感動は生まれません。
僕は今までのパッケージされた映像表現の現場から 1-10design という映像表現だけではなくインタラクションという新たな色を持った舞台へと表現場所を移行しました。目まぐるしい変容の中で、映像クリエイターとして「映像」表現をどう昇華していくのか、どういう表現に掛け合わせていけるのかと考えることはとても不安で刺激的です。今、世の中はものすごい速度で表現の古いものと新しいものが混じり合い、飽きられた古い技術と表現を残酷に置き去りにしています。

だからこそこのデジタルコンテンツというフィールドで表現することはおもしろく、自分なりの東京タワーを模索しつつ挑む価値があると思っています。

御幡


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